the One は自分の中にいる

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映画『カリーナの林檎』を観てきた。

今、この時代を生きる私に何ができるのか、
ひたすらそれを感じ取りたいと思いながら観た。

何ができるのか、どういう態度でありたいのか、
何をわかちあう存在としてこの人間としての生を生きるのか。

神様が助けてくれると信じて疑わない善良な人々。
でも原発事故は「神様」ではなく人間が引き起こしたことだから
「神様」には手出しができない。
人間は自らが招いたその現実を受け止めていくしかない。
「善良」な市民であったとしても容赦なくそれはやってくる。

現実を受け止めた上で、自分はどう生きるのか。
答えの出ない問いかもしれないが、
今、すべての人類はこの問題に直面している。

今まだそれを感じられない人も
おそらくひしひしと感じる時がやってくる。

今までどおりを生きようしていても
異変の種はすでに蒔かれている。
そして静かにそこにある。

表面的な幸せは真の幸せではなく幻想。
いつまでも幻想(Matrix)の世界にはいられない。

目覚めよ、人類。

今自分にできることを
自分の内側に聞いて発見し、
自分の内側から行動する。

Neo~the One~(救世主)は
外の世界にいるのではなく、
一人ひとり、自分の中にいる。

あなたの期待で相手を枠にはめて見ることを手放しなさい

あなたの闇を相手に投影するのをやめて、
本当の彼等自身を見てあげなさい。
あなたが真に彼等を曇りなく見るとき、
そこには美しかあり得ない。
生命は等しく輝きを放ち、
どれも代えがたくユニークで素晴らしい存在だ。

それを忘れずに見続けていられないのは
あなたが彼等の中に自分の見たいものを見ようとしているからだ。
彼等はあなたと同じように自由な存在なのだから、
あなたの期待で相手を枠にはめて見ることを手放しなさい。

川の魚にあるべきを問わぬように、飛ぶ鳥に行方を訊かぬように。
未だ開かぬ蕾の、花の色形を指示したところで、
その意図に沿わぬは花の落ち度ではない。

ありのままを見て、それをありのまま受けとめなさい。
あなたが期待を手放して見るとき、そこに現れる存在は常に新鮮で新しい。
己を枠にはめこまなければ、それを相手に求めることもない。
好みやコントロールを他の御霊(生命)に押し付けることで、
不自由になるのは己自身だ。

愛であるということは、あるべきを問わないということだ。
相手の中に”べき”を問うのは、己がそこに縛られているからだ。
なにものからも自由でありなさい。
心を開いて愛するというのは、そういうことだ。

自分自身もまた、常に新しく新鮮でありなさい。
過去の経験に従うのではなく、常に今だけに立ち、
未知を友とし、幼子のように世界を味わい、遊びなさい。

そうすればあなたは世界の素晴らしさを知るだろう。
そこに映る己を知るだろう。それを愛するようになるだろう。

自分自身の制限から自由になるとき、
あなたは期待や制限なく人を愛する者になる。
怖れないで開いていなさい。あなたが傷つくのは、他者によってではない。
あなた自身が、宇宙から自分を閉ざして切り離すためだ。
自分を罰することを手放しなさい。自分の価値をきちんと受け取りなさい。

何者もあなたより素晴らしい存在はない。
それを理解すれば、同等を外側に見るだろう。

内も外もなく、あなたと私の境もなくなる。それが愛だ。
相手を想うことと、自分の喜びが同じものになることだ。
生命(イノチ)の本質は歓びだ。

だから相手の歓びを感じることは、生命の本質的な交流である。
それをして人は、生を真に生きることを味わう。

それをしにきたのではなかったのか?

忘れずにいなさい。あなたは愛だ。何者にもまして価値ある存在だ。
あなたが素晴らしいのは、あなたが独特で、創造的で、自由な存在だからだ。
ありのままの自分を受容すればいい。
そうすれば、他者のありのままを見ることができる。
本当の彼等を知ることが出来さえすれば、あなたは彼等を愛さずにはいられない。

自分を愛から切り離してはいけない。世界から己を閉ざさぬように。
怖れと無知が、愛を遠ざけ、あなたを孤立させる。
受け取りなさい、宇宙があなたに与えるものを。

心を開いて、そのありのままを見なさい。

闇の中の小さな自分には価値がないと、誰が言おう。
それを言うのもあなた自身だ。
あなたが誰であろうとそれが、そのありのままがあなた自身だ。
そしてそれを受け止めたその時から、あなたは動きだす。
あなたは、あなた自身を生き始める。

愛と感謝と許しが内側から始まるとき、人は生きることの意味を真に知るだろう。
真の交流、真の人生の体験は、実際のところ、そこからしか生まれない。

もう頃合だろう?
待っているよ。

love my son.
愛する子供達へ

…message from the universe channeled through ryu

人が何らかの困難に陥っている時に

人が何らかの困難に陥っている時、
あなたは、その人をみて、

「可哀想」

と思いますか?

それとも、

「勇気ある魂の持ち主だな」

と思いますか?

私たちはこの目に見える次元だけの存在ではありません。
目に見える現象や症状だけを見ていると、
「可哀想」
に見えるかもしれません。

けれど、その魂には、
困難な状況を経験して学び変化していく、という
高次の計画があるのです。

奥深いところに存在するその人自身の何かが
それを経験することをプランし、
遂行できるよう取りはからった結果、
現実に見える世界で、今、その人は
困難と向き合っているような状況を経験しています。

そんな時、哀れみや同情は何の足しにもなりません。
それどころか、無意識のうちに、
あなたは、その人に、あなたは、
哀れみを受けないといけないような
可哀想で弱い存在なのです、
という無言のメッセージを送っています。

ですので、
困難にある人を見た時、
けして哀れみや同情の念を送るのではなく
困難に立ち向かうことを敢えて自分に許したその人の勇気を
称賛してください。

困難にある人の、その奥に隠れている勇気を称賛すると
そのエネルギーを得て、困難を乗り越える力となります。

その力が内側から出てきたその魂は
力強く輝いていくことができます。

そして、その輝きは、
称賛を送ってくれた人へと
増幅された形で還っていきます。

そうやって人々の真の、芯の力強さが
共鳴しながら確固たるものになっていくのです。

あなたを傷つけるのは

あなたの信じるやり方で

あなたの信じるやり方で
あなたにできることをやりなさい

それが例え、他人(ひと)に理解されなくとも
そんなことできやしないとばかにする人がいようとも
たとえ同じことをやっている人が他にいなくても

あなたの中の何かが
それがあなたのやり方であると訴えるのであれば

その感覚を信じて
あなたにできることをやりなさい

静かに、
淡々と。

誰に訴えるでもなく
誰に認めてもらうためでもなく

純粋な
創造として

時間とは本のようなもの

なぜそんなに時間にこだわるの?
時間の感じ方の意識を変えてみては?

時間は何がいつ起こるかをカウントするためにできた。
それが時間が存在するひとつの理由。
だから、その時間に制限されたり、混乱させられることは
本来の意図するところではない。

時間のもうひとつの存在理由は、経験を積み重ねるため。

それは、魂が輪廻している経験を自分の魂に刻むのと同じように
自分の経験に起きていている。

時間は本のようなもの。
なので、焦るとか混乱させられるとかは本来ない。

いつまでにこれだけのことをこなさなければならない、というために
時間があるわけではない。

時間の概念をほぐし、それを外すために
今日はここに来てもらう必要があったのだよ。

message from my guides through MINA

あなたが存在しているだけで

あなたが私に何か特別なことをしてくれたわけではない。

ただ、私は私の人生の中であなたに出会った。

あなたにとっては私は日々のなかで出会った
one of them かもしれない。

ほんの一瞬、人生の舞台で共演する機会があっただけの
存在で終わってしまうかもしれない。

あなたにとっては私の存在すら意識に入っていないかもしれない。

それでも、あなたという存在が
私に与えている影響は計り知れない。

あなたがこの世に存在しているだけで
私は
自分の様々な感情の動きを感じ
自分の様々なところにスイッチが入り
いろんな行動を起こし、
毎日に張り合いが生まれている。

そう、あなたは何か特別なことをしているわけではない。
私のために何かをしてくれているわけでもない。

ただ、自分の人生に向き合い、
ただ、自分らしく、生きているだけ。

だけど、それだけで私にとっては特別な存在。

きっとこれまでも
そうして私をサポートしてくれてきたんだろう。
そしてきっと、これからも。

ありがとう。
私の大切な人。

 。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*・。*

それは大切な誰かかもしれません。
家族かもしれません。

花かもしれません。
動物や鉱物たちかもしれません。

例えば、花や鳥たち。
彼らは、私たちのために何かしよう!と必死になっているわけではありません。
でも、見ているだけで、耳を傾けているだけで癒されるなにか、
私たちに働きかける力を持っています。

私たち自身が生きて行くにあたっても、
誰かのために、何かになろう、と必死になる必要はありません。
むしろ、その逆。
ただ、自分であることのほうが
結果として誰かの役に立っていたりすることもあります。

一生懸命がんばり過ぎている自分に気付いたら
特別な何もしなくても、自分が誰かにいい影響を与えることもできるんだ、
ということを思い出すといいかもしれません。

そしてふっと力が抜けたときこそ、
あなたがあなたらしく輝いて、
そして周りの人が癒されていくのです。

変化を受け入れる

女性性として挙げられる性質には
柔軟性、受容力、吸収力、包容力、優しさ、気配り、
勇気(これ実は女性性)、etc…いろいろあるけれど、

今、このタイミングで大事なことを
ひとつ挙げるとしたならば、それは

変化を受け入れる度量。

女性は、無から子供を宿し出産する、という経験を通して
自分自身がものすごく変化する、ということを体験する、
その能力を誰しももっている。

実際に出産しようとしていなかろうと
その能力、素質を備えているのが女性。

子供、というか、一人の人間が誕生する、
ということは、みんな当たり前のように思っているけれど
でも、とてつもない、神秘。

それが自分の体の中で起こっていくのだから
その変化の起こりようはさらにとてつもない。

そんな変化を受け入れられるのが女性。

変化には多かれ少なかれ不安や恐怖がつきまとう。

でも、そんなことも乗り越えて、変化を受け入れ
前進していく。

変化に対する適応力や
変化を受け入れて前へ進む力を活性化する、

それが、女性性を活性化する、ということ。

時代が大きく変わろうとしている今、
男性性と女性性のバランスのために、
男性にとっても、女性にとっても、必要なのが、この

変化を受け入れる能力。

これまで自分にとって当たり前になっていたことが
どんどん変化していく…
時には慣れ親しんだものを手放すことも必要かもしれない。。
慣れ親しんだ人たちから離れていくことが必要かもしれない。
自分の気持ちがどんどん変わって行くことに恐怖を覚えることも
あるかもしれない。
ときにはこれまで走ってきた道を振り返り、
立ち止まることも必要かもしれない。
すると止まることへの恐怖が浮上してくるかもしれない。

でも、そんな恐れに圧倒されず、変化を肯定的に受け止め、
どんどん気持ちが軽くなる、そして喜びを感じられる方向へ
進んでいきましょう。

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刻々と変わって行く夕暮れ時の空。
そのすべての瞬間がどの瞬間とも異なる。
どの瞬間もとどまることなく変化していく。
だからこそ、その、美しさ、その尊さが、
たとえ一瞬だけであったとしても、すべて貴重。

他人の信念を受け入れるなら

「意味付け」よりも「気づき」

因果応報と言われるように
物事にはつねに原因と結果がある、という世界があります。
直線的に世の中をとらえた場合、これは多いに考慮すべき視点です。

ですが、
直線的ではない世界、というのも私たちをとりまく宇宙には
確実に存在しています。
その世界では、原因と結果が必ずしも、直線的に結びついていません。
それを探ろうとしても、もはや、関係ないに等しいくらいに
いろんなことが同時に起こっている世界です。

私たちは、いろんな事象が起ったときに、
「これってどういう意味かな?」と
あれやこれや思いめぐらすことがあります。

時にはそれが必要なこともありますし、
そこからいろんなメッセージを得ることができますが
もしも、すべてのことに意味を見いだそうとすると
抜け出しようのない、ループにハマってしまうこともあります。
そうなると、
今、ここ、に生きるのではなく、
理由付けの世界に生きてしまっているのです。
それは、外に、正当性を見いだそうとする姿勢ともいえます。

もしも、自分が最近、意味付けのループにハマってる、と
気づいたら、
意味を探すよりも、つまり、外の世界に正当性を見いだそうとするよりも
その事象から自分が学べたことや、気づいたこと、
あるいは今自分にできること、
などに意識を向けてみることがよいかもしれません。

そして、じゃぁ、自分は本当はどんなふうにありたかったのか、
あるいは、どんなふうにありたいのか、
ということにさらにその意識の方向を向けていくのです。

すると意味付けのループから、
本当に自分が望んでいるものを自分という振動の中に
取り込んでいく新しい習慣へと、移行できます。

起こったことの理由や意味はどうであれ、
自分の内側から自分をクリエイトしていく、
それは、今、ここから、いつでも、始めていくことができるのです。